新卒で働いていた会社は社員を大切にしない会社

私が新卒で働いていた会社について記載します。
一部上場企業ですが中堅流通業、Rコーポレーションです。

ブラック企業の定義としては色々なとらえ方があると思いますが、私がこの会社で経験したこと自体は納得のいかないことが非常に多かったので記載に至りました。

入社して小売業の希望していない生鮮部門に配属されました。
遅くても朝八時には出社し、一日が八時間労働であるのに、店を出るのはほとんど夜の八時過ぎが当たり前の状況でした。
もちろん入社して当初は仕事も覚えなければならないのと、今後の出世など周囲の気にする面も考慮して動いていました。しかしながら生鮮の部門でも自身のところは、社員一人体制となり会社のセールやセールのための仕込み等を考慮すると、ほとんど仕事が休めない状況になりました。

休みの日はパートさん任せですが、そのパートもいないところや少ないところはもちろん社員自身が仕事場にいなければ回らない状態です。
若いうちはやる気と気力で頑張りました。
私の父も仕事人間だったということもあり、当時はこんなものなのかとも思い我慢しながらも働いていました。

私はブラック企業であると考えるのは第一にはやはり労働時間です。
サービス残業は当たり前で、休み出勤もしている中でも上司は残業はつけないように言ってきていました。
休みがとれないことで昇格試験日を現場の仕事に回した人間もいました。

二つ目は業務の内容です。

明らかに商品に対しての産地が異なっていたり、売り場作り含み大手の真似事をやったり私が仕事に慣れた頃には、あまりにグレーゾーンが多いと思いました。
良くないことを正していきたいという気持ち以前に、上司の女性に対するセクハラや不倫といった人として納得のいかない環境にもつかり、私自身体調を崩してしまったことで退社に気持ちを切り替えました。

現在はどうなっているかわかりませんが、私自身はこのスーパーでは買い物は絶対しません。転職して今は異業種に従事していますが、労働時間はほぼ定時で終えることもでき、残業も申請可能です。

上司からも好きな時に有休を取得するようにも言われています。ゆえに新卒時に働いていた会社は本当に社員を大切にしない会社であったと改めて心から思いました。

助成金が足りなくなると不当解雇を続ける企業

国や都道府県からの「ものづくり」と名する助成金を受給して株式会社として運営されている「C株式会社」というブラック企業で半年程アルバイトで勤務していました。

一般的に中小企業と言われていますが業界はロボット開発ベンチャー企業というのがわかりやすいかと思います。
社長と部長を名乗る40代の男性二人だけの会社で、後は雇用期間が1年だけと決まっている緊急雇用対策事業の中高年の人が2人と20代の外国人労働者(その時はフランス人)が一人だけでした。

大学の研究所の延長のような所で、仕事らしい仕事はなく毎日、学校のような感じでみんなプログラムを組んだり出来上がった物を試してみたりしていました。
部長を名乗っていた40代の男性も大学院を出てからは就業経験は1度もなく同じような場所をさがして収入を得ているようでした。ファイリング業務をしていると過去に採用した人達の履歴書が全て鍵もかからない書棚に保管され、破棄されるべき応募してきた人の応募書類全てが保管されていました。

採用になった人は国や都道府県の緊急雇用対策事業や学生のインターンシップだけでした。社長も狭いオフィスの中にいるので会話が全て聞こえていましたが口癖は「東日本大震災の助成金が10億円余ってるんだけどいらないかって相談されてさ」とか「監査用のファイルを作ってくれ」でした。

不景気だと言われる関西のメインの市でこんな所で何十億のお金が動いている事に驚きは隠せませんでしたが同時にこんなに実際はお金がある事に安心しました。
助成金が足りなくなったらパワハラやセクハラで追い出しが始まるというのが恒例になっていて一人ずつ追い出されるように解雇されて、私も半年後、突然2日前に不当解雇されました。

顧問弁護士がいつも出入りしているので誰も逆らう人もいませんでした。
一番の売り物の商品は特許まで取得した「大型自走式お掃除ロボット」です。

時々予算が余ったり安くで緊急雇用対策事業を落札出来た時だけ臨時で社員を募集しますが1年の契約で必ず終了するので再雇用はありません。

いちばん危険なのは学生のインターンシップです。
安易に足を踏み入れて労働なき収入をを得てしまうと就職が出来なくなる落とし穴があります。

取引先は道路公団や電力会社、病院等の国と関係している所ばかりでした。来客は官公庁の人が当然多く「社長、今度はこんな助成金事業あるよ」という怪しい話を持ちかけていました。

「今でも許せない、あの企業」

今の仕事に就く前、実家からほど近い工業団地に工場を構える、製造業のYと言う会社で一年間働いていたことがあります。

Yは今から8年程前、全国ニュースになるくらいの大きな事故を起こした会社で求人票を見た際も正直迷いがありましたが、同級生の姉が長年働いており、企業体質がだいぶ良くなって来たという話を聞いて思い切って応募し見事に採用が決定しました。

今にして思えば、あの場面でYに決めなければ・・・と今更ながらに後悔しています。

入ってみれば従業員の方も優しい方が多く、工業団地内の会社では時給が多い方、おまけに1年経過したら正社員になれると言う約束もしてくれたので、仕事も大変でしたが毎日頑張っていました。
ところが1年経とうとした昨年の9月末。上司と一緒に工場長に呼ばれて会議室に向かったのですが。そこで出されたのは一枚の紙。

「こういうことだから。何か、質問ある?」と、紙を乱暴に突き付け、腕を組んだまま動かない工場長と、分かっていたかのような顔で工場長の隣にいる上司。

目の前の紙は、1年経過する10月末で契約解除、つまりクビの通知でした。
「正社員にしてくれるって約束してたのに?」と思考回路もショートし、ショックのあまり体も固まって動かない私に工場長が一言。

「ねえ、30分もこのままで、正直困るんだけどね」と。ショックで30分ほど固まっていたようです。

その後、工場長は会議室を出て行き、同席していた事務の女性が気遣ってくれて「大丈夫ですか?立てますか?」と支えてくれたり、上司が休憩室までなんとか連れて帰ってくれましたが、その時上司が「時間微妙だけど、どうする?現場行く?それとも今回の決定が覆らないか、工場長に訴えに行ってもいいよ」と。

その時丁度、定時10分前。上司の言葉に「一度決まってるのに覆るわけない。何言ってんのこの人」と思いながら、もうショックを通り越して何処か頭は冷静でした。
何しろ、正社員になれると言う元々の約束を蹴られている上、この仕打ち。
ただ、私もここが初めての転職ではありませんでした。派遣や期間工など、色々な仕事を経験して、無論労働基準法の中身もそれなりに把握していました。

なので「期待は最初からしていないけれど、ここで、解雇に同意してなく、働く意思はあったという事実を残していけば、万が一何かあっても、自分に不利にはならないだろう」と言う打算の元、上司の許可を得て、工場長のいる隣の敷地の第二工場へ向かいました。

第二工場の事務員さんが同席してくれたのは予想外でしたが、「これで工場長も言い逃れは出来ないでしょう」と心の中でガッツポーズをしていました。
工場長が相変わらず人を馬鹿にした態度だったのは腹正しかったですが。

その日はどうやって帰宅したか、何を食べたかも覚えていません。 実家暮らしなので、親が言うには「何かあったのだろうとは思ったけれど、落ち着いたら話すだろう」と構わずに置いていてくれたようで、未だに有難く思っています。

実質解雇と言うことで、その後三日は仕事をしましたが精神的な負荷が大きかったのか体調を崩し、上司には「具合が良くなったらまた連絡しますね」と言って出勤を拒否していました。
この件に関しては、事情を知った総務の女性が「有給残ってるので、しっかり休んだ分は使いましょう」と気を利かせてくれたことが嬉しかったです。

11月に入り、離職票も届いたので失業保険の手続きをしにハローワークに向かうと、保険窓口の職員さんが一言。
「労働者合意の上での退職になっていますね」と。

高卒からYでしか働いておらず、世間を知らないので頼りにならない上司と、人を馬鹿にする工場長。二人を見ていて、企業体質に疑問を抱いていたこともあり、離職票と一緒に期間満了の判子が押された紙を持参しており、「少なくとも辞めたくて辞めたわけじゃない」と訴え。

なんなら会社に連絡して確認してくれ。と言い、職員さんが確認してくれることに。
求人票の連絡先が工場長となっていたので、もし工場長がシラを切ったら総務の方に確認してもらおうと思っていたのですが、あっさり工場長は会社側の都合で辞めさせたと認めたらしく、この時点で職員さんは「では、確認も取れたので離職票直しましょう」とその場で対処してくれました。

いいチャンスだと思い、正社員の約束があったこと、宣告時の態度があんまりだったことなどを怒りつつ伝えましたが、職員さん曰く。

「嫌な思いをされたのだと思うけど、求人票に1年の試用期間と書いているから、違法ではないんですよ。訴えることも出来ますが、あなたにとって得にはならないかもしれません」と非常に心配そうな顔で諭され、私は、じゃあ仕方ないか・・・と悔しさを感じつつ、引き下がることしか出来ませんでした。

ただその後、新しい仕事探しを初めて相談窓口に向かった際、担当となってくれていた職員の方に事情を全て説明すると、「訴えることは出来ないけれど、もしこのYを受けようという方がいらっしゃった時に注意を促すことが出来るように覚えておきますからね」と力強く励ましてくれ、少し救われた気がしました。

この件で私は、一度染みついた悪い企業体質と言うものは時間を経ても、簡単には変わっていかないものなのだなと実感しました。

【それが普通だと思っていました】

・金融 商品先物取引会社K

大学を卒業した後に、新卒として、商品先物取引の会社に入社しました。

この業界は当時、離職率が7割とも言われていたのですが、その理由が入社してよくわかりました。

まず、休みがほとんどありませんでした。土曜日出社は当たり前、日曜日も、月1日は出社しなければなりません。勤務時間も、7時30分~22時まで。土曜日だけ、8時半出社で良かったのですが、そもそもの規定上の開始時刻は、9時でした。

ひたすら電話を掛ける毎日でした。
自分たちが入社する前には、過労死した方もいたらしく、それを聞いて、さすがに身体が持たないと思い、1年で退職しました。

ちなみに、自分の配属されていた支店には、自分も含めて10人新入社員が入ったのですが、1年以内に全員退職しています。あまりに過酷だったためか、全員、凄く仲良くなりました。今でも連絡を取り合っています。

1年間続けていたのは、当時は、それが普通だと思っていたからです。
超就職氷河期で、不景気、どこの会社でも、こんななものなのでと思っていました。
しかし、実際転職してみると、前職がいかに異常だったのか、初めてわかりました。

セクハラ、パワハラの嵐!アルバイトの定着しない飲食店J

大手飲食店Jでホール担当として働いていました。セクハラ・パワハラ・サービス残業の横行に耐えかねて退職しましたが、店長が本当にひどかったです。

女性が入社してくると、本人の目の前で、顔の品評会。
「お前は本当に不細工だなー整形してから入社してこいよ」
「顔はかわいいけど胸が小さいね。彼氏に大きくしてもらってる?最近いつしたの?」等…

アルバイトは定着しませんでしたし、社員もすぐに辞めていくような店舗でした。

男性に対してはパワハラ、サービス残業の嵐。
バイトの休みなどで急にシフトに穴が空き、男性社員を電話で呼び出す店長。

「10分以内に来いよ!」と怒鳴っているのがよく聞こえていました。10分以内に来れなければ生ゴミを投げつけられたり、きつい作業を一人でやらされたりしていました。でも、元レスラーやボクサーなど、強そうな人に対しては一切そういうそぶりを見せないのです。

一番ひどいと感じたのは、キッチンを担当していたアルバイトの男性が、熱した調理器具を触ってしまいやけどをした時でした。
早退させてほしいと頼んだ彼の意見は聞いてもらえず、結局ラストまで働かされていました。その後彼はすぐにアルバイトを辞めてしまったため、彼のやけどがどうなったのかは知りませんが、人に配慮のない店長でした。

本部に一度クレームを出した人がいたらしいのですが、店舗で「誰がやったんだ」と一人一人詰問され、アルバイトの給料が減らされたりしたようです。
組織としての管理も、店舗の管理もなっていないブラック企業だと感じ、私も一年半で退職しました。

酷すぎる労働環境

IT系サービス業S社に勤めていた頃です。
ある案件によって、元々酷かった労働環境が更に酷くなったことについてお書きしたいと思います。

その企業では金融系サービスの保守などを取り扱っていましたが、
所属した部署によって仕事の幅が大きく、部署によっては定時で帰る事ができ、休日出勤もなし。
しかし、部署によっては基本的に終電帰り、大体1ヶ月に2~3日程度の休日出勤が当たり前の部署もあり、その部署はよく社内に噂として流れて私の耳にも入っていました。

私は新卒でこの企業に就職しましたが、最初は運良く、あまり仕事が辛くはない部署に配属されて安心しましたが、
半年程度経った頃に最悪の異動は通達されました。

ある部署の人手が足りないという事もあり、新卒1年目にしては仕事をこなしていた私が運悪く選ばれてしまい、
終電帰りどころか、会社から出られない…。帰れない…。週6日での出勤は当たり前、仕事のスケジュールが遅れれば週の休みは一切なしという状況が続き、
そこに追い討ちを掛けるようにプロジェクトリーダーとその補佐が倒れ、指揮系統がガタガタ。
なぜか、ある程度プロジェクトを理解している新卒1年目の私が誰もやらないまとめ役をする始末。

そのような状況であるにも関わらず、周りの部署が巻き込まれることを恐れて、サポートを拒否する状況すら生まれる最悪な状況。
そのような状況でも、結局3週間は家に帰れない状況もありましたが、どうにかプロジェクトを終了させることが出来ました。
その後、元々突貫工事に近いプロジェクトになっていた為、保守でトラブルを再度起こしていたことを知ったのは会社を辞めてからのことでした。
私もその後、体を壊して会社を離れましたが、逆に会社を辞めることが出来てほっとした印象しかなかったことを鮮明に覚えています。

法律関係・G事務所、いつもイライラしているパワハラ所長

わたしが少し前に働いていた事務所では、入った後に分かったのですが、ちょっと怒りやすい人が所長をやっていました。
ちょっとしたミスでも、何かとイライラして何でもないような違いですらすぐコピーしなおせととんでもないことを言うのは日常茶飯事でした。

また、ちょっと知識が出てこなかったりするだけでものすごく使えないだの全然勉強してないだの、そんな歳でこんなやつはいないだの言ったりするパワハラや
性的魅力がないだの、結婚してないのはおかしいだの全然指導とは関係のない罵倒もよくありました。

ほんのちょっとした行動でも、何かにつけて怒鳴りますので、こっちとしては何をしていいのか全く分からなくなってきます。

その他にもきいた話では、役所の人間がミスをしたりなどしたときに電話で思いっきり何時間も口論になったり、場合によっては
人を事務所まで呼びつけて怒鳴りまくったりとひどいものです。自分が気に入らないととにかく怒鳴る人でした。

あまりにひどい暴言もありましたが、自分が嫌になって辞めたのが、疑心暗鬼です。ちょっとしたことでトン度もない事を疑い始め、いくら否定しても
絶対に信じないぞというようなしつこい部分があったので、この人とは信頼して仕事ができないと思って思い切ってやめました。

今となってはそれでよかったと思っています。あそこでは萎縮してなかなか仕事ができるようにならないと思ったから自分自身にもよかったと思っています。

5日以上、家に帰れずサービス残業

大手印刷会社Tは、新卒でアルバイトとして入社しました。
配属された部署では、大手スーパーのチラシや通販カタログ、宅配サービスのメニューなどの広告を作っていました。

自分の担当は「文字校正」で、広告の誤字・脱字、写真のズレや枠線がはみ出ていないかなどのチェックを行う仕事です。

アルバイトだったためか研修はなく、直属の上司の手が空いたときに仕事を少しずつ教えてもらっていたのですが、それは一日に数分程度の短い間でした。

人数の割に仕事量が多く、特にスーパーのチラシは毎週発行されているため、デザイナーも校正士も毎日サービス残業をして、食事もまともにせずに作業に取り組んでいました。
自分は何をしたらよいのかわからず、上司から命じられたコピー取り・広告のスキャン・ファイリング・電話応対といった雑務をひたすらこなしていました。

特に電話応対に関しては、パワハラ気質の常務から「電話に出ないとお前を殺す」などと言われていたので、かかってくるたびにビクビクしていました。

ひたすら雑務をこなし、校正の仕事をほとんど任されなかったにも関わらず、毎日のようにサービス残業には付き合わされていました。

終電を逃すのは日常茶飯事で、繁忙期は5日以上家に帰れず、家族とも連絡を取れなかったのでものすごく心配させてしまいました。

「無視され続けてうつ病に」

運送会社Sに派遣スタッフとして勤務していた時のことです。
とにかくセクハラ・モラハラがひどかったので1年程で辞めてしまいました。

まず、その事業所で2番目に偉いとされている定年間近の方。
女性スタッフに対し、誰彼構わず後ろから抱き付くように腕を回してくるのが当たり前の光景でした。
お偉いさんなので、何も言えずにただただひたすら愛想笑いでごまかすのが日常でした。

次に、長距離トラックの運転手の方。
出勤してくるなり頭ポンポン・汗びっしょりの手で、私の手を触りまくる。
すぐに長距離移動をするため荷物を積み込む作業に入るので、
これは時間にして短く、1日10分程我慢すればよかったのでまだマシでした。

最後に、一番ひどかったと思うのが、実際に仕事をするにあたって一番関わりの深い上司でした。
みんなに優しくて、冗談も面白く、とても良い上司だと思っていたのですが
ある日突然休憩中に呼び出されて、

「あなたのことが好きです。気持ちだけは伝えておきたかった。」

と言われ、花束を渡されました。

「君の好きな色の花だよ。」と言われ、半ば無理矢理でした。
休憩時間が終われば、またデスクで顔を合わせることになりますから、要りませんと拒否するわけにもいかず
仕方がなく「気持ちだけは…ありがとうございます。」と言い、花束をとりあえず自分の車の中にいれました。

そこから上司は気まずくなったのか、仕事についての質問をこちらからしても答えてくれなくなり、無視されるようになりました。

挨拶もしてくれず、目も合わせてくれませんでした。
さすがにおかしいと異変に気付いた周りの方々が、いろいろと気遣ってくれたのですが
その上司でないと聞けない業務内容もあり、仕事が進まなくなりました。

一番上の方に相談しても、話は聞いてくれますが根本的な解決には至らず、
結局無視され続けたことによって、私はうつ病になってしまい、退職しました。

ちなみに当時の私は19歳で、問題の上司は40歳を過ぎていました。
親子程の年齢差があって、更に私は10代。よく告白しようと思ったもんです。

銀行で社会人としては考えられないイジメを受けた

精神的いじめを受けました
今から数年前のことになりますが、金融M銀行に勤めていた時のことです。

当時の私は銀行の営業マンとして、顧客獲得のために毎日走り回っていました。

会社側から突き出されるノルマはそれは凄まじく、親戚全員に頭を下げて会社の顧客になってもらいました。会社側はそれだけではまだまだノルマが足りないから、金を持っているならお年寄りからでもいいから、だましてでも金をむしりとってこいと言われました。

実際に詐欺に近いやり方でお客を集め、裁判沙汰にもなっておりました。
あまりの酷い非人道的なやり方に私は我慢がなりませんでした。

すると翌日から私のデスクは営業部からなくなり、小さな個室に呼ばれました。
上司からは、お前のような素直に命令に従わない奴は、そこで1日中お札の数を永遠に数えてろと言われました。

朝から晩まで1万円札を意味もなく数えさせられて、ランチやトイレにも行かせてもらえない時さえありました。
1日中暗い個室に閉じ込められて、目の前にはお金だけが置かれて、気が狂って頭が変になりそうでした。

体調不良を訴えても部屋から出してもらえず、精神的に追い込まれていきました。とうとう鬱になってしまい、出社することができなくなって退職に追い込まれました。