ブラック企業だと感じるなら早期転職を考えるべき!

ブラック企業といえば、どのような会社をイメージされてますか。

具体的に、新入社員でありますとか現在働いている方にはわからないといえると思います。
大半がブラック企業と言えると思います。会社は社会に適応もしくは機能するために存在してあることを前提に機能させます。

公務員と同じような感覚の方々が働けるようにしておいてあるべきなのです。実際は労働時間や給与形態などを違ったという話はよくあることなのです。

中小企業は社長がワンマンであるなど、あまり知識も間々ならないような社長の経営されてあるところは悲惨なのではないでしょうか。休むと給与が減るので休まないなど、いつも上の様子を見るなどで、ストレス気味であるなどです。

ブラック企業に勤められる場合、働いている人のほうがよりブラックであるので諸所の問題は尽きないようで、地方の役場ならびに警察などの動きを見ているとそのような方々もよりブラックといえます。
具体的には、作業用機械の故障や紛失。
最悪現金など窃盗も聞いたことはあります。実際に会社のFAXで配られるのです。

そんなことがあるのかと聞かれることはありますが、あります。
警察の場合もやはり時間で動きたいですから所に動向などしやすい方々を見方につけますし、かといって従業員など事業主以外の方が訴訟を起こそうにも、権利関係で敗訴されることもあり、行政についての仕組みを知らないとかえって時間と労力の浪費に繋がりかねません。
是非ブラック企業と思われるなら調べて、危険を感じるようでしたら早期転職など出来る範囲で無理せず続けられそうな環境に進まれるのはいかがでしょうか。

ブラック企業だと気付くのが遅すぎた

食品会社Hで働いていたときに、「もしかしてブラック企業?」と思えることがありました。

当時少し常識に知らずだった私は食品会社で働いていました。
社会人としての常識がほとんど身に着いていなかったので、良いカモにされたんだと思います。

その食品会社では、私は本当に一杯働かされました。若かったのでまだできたんですけど、本当にもっと早くに気づけば良かったと今でも後悔しています。

職場で私がしていた仕事は経理です。
だけどそれだけじゃなく、いろんな雑務も手伝わされて、毎日忙しい日が続きました。
そして休みなのに休み返上で働かされることもあって、辛かったです。

求人には確実に週休二日制と書いてあったのに、時には週末に1日も休みがないときもあるくらいに働かされました。
それできちんと給料が出たならまだ許せます。しかし後で考えると給料も特に上乗せさせることはなく、休日返上の分の給料もろくに出ていませんでした。

でも社会は厳しいと聞きますし、これが当たり前だと私は信じていたんです。周りの人たちにも「若い頃には苦労するべき」と言われて、ありがたく仕事をやりなさいと言われました。

周りの人の口車に乗せられて、私はその会社で3年近くもの間、働いたのです。
別の仕事に転職してから、同僚に「それおかしいよ」と言われました。

そこで初めて前の職場の実体がブラック企業だと気づいたのです。勿体ない3年間を過ごしたなと思いますし、思い出すと結構落ち込みます。

「長時間労働とパワハラの中で働いた日々」

大手教育産業Nへ新卒で入社。
5年半働いた後、自己都合で退職しました。

新卒だったため、この会社しか知らず同僚たちと文句を言いながらも
「正社員で働くということはこういうもの」と思っていました。
しかし、転職後、その労働環境の大きな違いに気づきました。

入社後、研修期間が終わると、朝、出勤したら、帰宅は毎日のように終電近くになりました。
当然、残業手当は付かず、新入社員の私は残業手当の存在すら知らないまま働いていました。
入社後1年以上経って、上司が代わると、同じく毎日残業が続きましたが、
一度だけ「残業の申請をしていいよ」と言われたことがあり、その時初めて残業の申請方法を知りました。
結局、入社から退職までの間に残業手当を申請したのはその時一回限りでした。

また、休憩時間も十分に取れず、例え休憩中でも接客や電話応対などをしないといけませんでした。
忙しい時は食事をする時間さえなく、朝から夜遅くまで何も食べずにずっと働き続けることも多々ありました。

さらに、役職が付き、会議に出席するようになると、毎回会議が終わるのは夜中の2時、3時でした。
その後、会社が用意した近くのホテルで数時間の仮眠をとり、翌日は通常通り出勤していました。
会議はいつも2,3日前に連絡がくるにもかかわらず、
その日に休みを取っていて何か予定を入れていたとしても会議への出席は絶対でした。

最終的に結婚を機に会社を辞めることにしました。
この機会を逃すと辞める理由を失うと思ったのが正直なところです。
そして、退職したい旨を上司に伝えた時も、なかなかそれを聞き入れてもらえませんでした。
退職届を持っていくと投げ返され、話すら聞いてもらえませんでした。
それでも辞めたいと強い意志を示し続け、ようやく会社から解放されることができました。

保険がない!色々と超ブラック会社

私が過去に勤めていた会社は、フルタイムで働いても社会保険・雇用保険・労働災害保険が1つもないという驚愕の雇用内容でした。

広告業Sでは、残業代は辛うじて出ましたが、社員であろうが、パートであろうが、全員がなんと国民健康保険を給与から自己負担、雇用保険は無しです。常に、「これは労働基準法にひっかからないのか?」と思いながら働いていました。

入社時には、保険が一切ない説明などはありませんでした。
保険が無いことに気づいたのは入社して、しばらく経って「まだ保険証来ないなぁ」と思い、他の社員さんに聞いた時でした。

業務内容には怪我をするかもしれない、重いものを運ぶ事もありましたが、労災もありませんでした。

さらにブラック(アウト)な所は一般の広告等に紛れて、明らかに極の字がつく筋の方が行う仕事の広告作成も受注しており、会社に発注者であろう極の筋の方が出入りしていた事です。
普通に仕事をしていて挨拶する分には何も問題がありませんでしたが、夏に白いTシャツから透けているアートを見た時は正直生きた心地がしませんでした。

そして、取締役がたまにふらっと外出しては帰社し、出会い系の女性と会ってきたと楽しそうに話してました。
先の事を考えると、このままここに居ては行けないと思い、全力で穏便に退社しました。

企業の最悪だが、そこで働く社員も異常な会社

地元の中堅製造業Jで働いていたときのことです。
中堅企業で安定感のある企業という噂だったので長く働けるだろうと思っていたのですが、想像以上にブラック企業でした。

サービス残業などはなかったのですが、とにかく会社に依存しないと生きていけない人間を作ろうとしていたのか、ただでさえ年間休日が少ないのにその休みの日にも組合の活動や会社行事をねじ込んでくるうえ、有給休暇の取得が禁止されていました。

有給休暇の取得禁止は労働基準法違反ですが、あの会社では労働組合が率先して従業員に有給休暇の取得を禁止する通達を出していました。

また組合活動や会社行事に出られない場合、その理由を文書にして上長に判を貰って組合または会社に提出しなければなりませんでしたし、遅刻した場合は全員の前で壇上に立たされなぜ遅刻したのかその理由を述べさせるという、まるで晒し者のような扱いを受けました。

そんな企業風土でしたから職場の雰囲気も似たり寄ったりで、何か小さなミスをすると全員の前で「誰がどのようなミスを犯したか」を逐一報告されましたし、しつこくねちねちと「なぜミスを犯したのか、どうしてそうなったのか、ミスを犯す前になぜ気付かなかったのか」などと答えに窮する追求をされました。

そんな状況ですから従業員の間でもいじめが横行し、耐えきれずに別のチームに移動したり退職したりする人がでていました。

またこの会社は人の足元を見るようで、中途採用者の場合経験を考慮して年収に反映すると面接の時に言いはするものの、実際には新卒者と同じ給与水準からのスタートになっていたため年収が以前に比べぐっと少なくなってしまいました。

いじめられる上に休みの日まで会社に縛りつけられ、さらに自分のこれまでに築いてきたキャリアすら認めてもらえなかったので、残念ながら半年後に退職しました。

某観光地ホテル業での残業手当不払い

すでにその仕事は2年間でやめましたが、仕事場は家からは通勤できないため、仕事場からバスで20分くらいのところにアパートを借りていました。

仕事場へは送迎バスでの通勤となります。
朝6時半くらいに部屋をでて帰宅は22時過ぎという生活の連続で、休みも客の宿泊状況によって変わるため前もって計画を立てにくい仕事環境でした。

直前まで休みの計画が決まらない、また休みの日数も月に4から6日くらいと月の労働時間は250時間を超えていたと思われます。
働き出して間もないため、残業時間の申請もしにくい環境であったりして、残業時間申請もせず働くといったよく言われるサービス残業をしていたわけです。

当然残業を申請していないので、労働時間に及ばない報酬で頑張っていたような状況でしたが、いよいよ体もきつくなり、会社を辞めることを考え始めたころでした。
ほかの同業種での残業の未払い問題がおこり、その会社では残業代が支払われるようになりました。その影響で働いていた仕事場でも、残業代が支払われるようになりましたが、規定の残業時間満額というわけにはいきません。

就業環境や労働時間の規定そのものが社員を大切にしている環境とは考えにくく、これからを考えて会社を辞めることにしました。

新卒で働いていた会社は社員を大切にしない会社

私が新卒で働いていた会社について記載します。
一部上場企業ですが中堅流通業、Rコーポレーションです。

ブラック企業の定義としては色々なとらえ方があると思いますが、私がこの会社で経験したこと自体は納得のいかないことが非常に多かったので記載に至りました。

入社して小売業の希望していない生鮮部門に配属されました。
遅くても朝八時には出社し、一日が八時間労働であるのに、店を出るのはほとんど夜の八時過ぎが当たり前の状況でした。
もちろん入社して当初は仕事も覚えなければならないのと、今後の出世など周囲の気にする面も考慮して動いていました。しかしながら生鮮の部門でも自身のところは、社員一人体制となり会社のセールやセールのための仕込み等を考慮すると、ほとんど仕事が休めない状況になりました。

休みの日はパートさん任せですが、そのパートもいないところや少ないところはもちろん社員自身が仕事場にいなければ回らない状態です。
若いうちはやる気と気力で頑張りました。
私の父も仕事人間だったということもあり、当時はこんなものなのかとも思い我慢しながらも働いていました。

私はブラック企業であると考えるのは第一にはやはり労働時間です。
サービス残業は当たり前で、休み出勤もしている中でも上司は残業はつけないように言ってきていました。
休みがとれないことで昇格試験日を現場の仕事に回した人間もいました。

二つ目は業務の内容です。

明らかに商品に対しての産地が異なっていたり、売り場作り含み大手の真似事をやったり私が仕事に慣れた頃には、あまりにグレーゾーンが多いと思いました。
良くないことを正していきたいという気持ち以前に、上司の女性に対するセクハラや不倫といった人として納得のいかない環境にもつかり、私自身体調を崩してしまったことで退社に気持ちを切り替えました。

現在はどうなっているかわかりませんが、私自身はこのスーパーでは買い物は絶対しません。転職して今は異業種に従事していますが、労働時間はほぼ定時で終えることもでき、残業も申請可能です。

上司からも好きな時に有休を取得するようにも言われています。ゆえに新卒時に働いていた会社は本当に社員を大切にしない会社であったと改めて心から思いました。

助成金が足りなくなると不当解雇を続ける企業

国や都道府県からの「ものづくり」と名する助成金を受給して株式会社として運営されている「C株式会社」というブラック企業で半年程アルバイトで勤務していました。

一般的に中小企業と言われていますが業界はロボット開発ベンチャー企業というのがわかりやすいかと思います。
社長と部長を名乗る40代の男性二人だけの会社で、後は雇用期間が1年だけと決まっている緊急雇用対策事業の中高年の人が2人と20代の外国人労働者(その時はフランス人)が一人だけでした。

大学の研究所の延長のような所で、仕事らしい仕事はなく毎日、学校のような感じでみんなプログラムを組んだり出来上がった物を試してみたりしていました。
部長を名乗っていた40代の男性も大学院を出てからは就業経験は1度もなく同じような場所をさがして収入を得ているようでした。ファイリング業務をしていると過去に採用した人達の履歴書が全て鍵もかからない書棚に保管され、破棄されるべき応募してきた人の応募書類全てが保管されていました。

採用になった人は国や都道府県の緊急雇用対策事業や学生のインターンシップだけでした。社長も狭いオフィスの中にいるので会話が全て聞こえていましたが口癖は「東日本大震災の助成金が10億円余ってるんだけどいらないかって相談されてさ」とか「監査用のファイルを作ってくれ」でした。

不景気だと言われる関西のメインの市でこんな所で何十億のお金が動いている事に驚きは隠せませんでしたが同時にこんなに実際はお金がある事に安心しました。
助成金が足りなくなったらパワハラやセクハラで追い出しが始まるというのが恒例になっていて一人ずつ追い出されるように解雇されて、私も半年後、突然2日前に不当解雇されました。

顧問弁護士がいつも出入りしているので誰も逆らう人もいませんでした。
一番の売り物の商品は特許まで取得した「大型自走式お掃除ロボット」です。

時々予算が余ったり安くで緊急雇用対策事業を落札出来た時だけ臨時で社員を募集しますが1年の契約で必ず終了するので再雇用はありません。

いちばん危険なのは学生のインターンシップです。
安易に足を踏み入れて労働なき収入をを得てしまうと就職が出来なくなる落とし穴があります。

取引先は道路公団や電力会社、病院等の国と関係している所ばかりでした。来客は官公庁の人が当然多く「社長、今度はこんな助成金事業あるよ」という怪しい話を持ちかけていました。

「今でも許せない、あの企業」

今の仕事に就く前、実家からほど近い工業団地に工場を構える、製造業のYと言う会社で一年間働いていたことがあります。

Yは今から8年程前、全国ニュースになるくらいの大きな事故を起こした会社で求人票を見た際も正直迷いがありましたが、同級生の姉が長年働いており、企業体質がだいぶ良くなって来たという話を聞いて思い切って応募し見事に採用が決定しました。

今にして思えば、あの場面でYに決めなければ・・・と今更ながらに後悔しています。

入ってみれば従業員の方も優しい方が多く、工業団地内の会社では時給が多い方、おまけに1年経過したら正社員になれると言う約束もしてくれたので、仕事も大変でしたが毎日頑張っていました。
ところが1年経とうとした昨年の9月末。上司と一緒に工場長に呼ばれて会議室に向かったのですが。そこで出されたのは一枚の紙。

「こういうことだから。何か、質問ある?」と、紙を乱暴に突き付け、腕を組んだまま動かない工場長と、分かっていたかのような顔で工場長の隣にいる上司。

目の前の紙は、1年経過する10月末で契約解除、つまりクビの通知でした。
「正社員にしてくれるって約束してたのに?」と思考回路もショートし、ショックのあまり体も固まって動かない私に工場長が一言。

「ねえ、30分もこのままで、正直困るんだけどね」と。ショックで30分ほど固まっていたようです。

その後、工場長は会議室を出て行き、同席していた事務の女性が気遣ってくれて「大丈夫ですか?立てますか?」と支えてくれたり、上司が休憩室までなんとか連れて帰ってくれましたが、その時上司が「時間微妙だけど、どうする?現場行く?それとも今回の決定が覆らないか、工場長に訴えに行ってもいいよ」と。

その時丁度、定時10分前。上司の言葉に「一度決まってるのに覆るわけない。何言ってんのこの人」と思いながら、もうショックを通り越して何処か頭は冷静でした。
何しろ、正社員になれると言う元々の約束を蹴られている上、この仕打ち。
ただ、私もここが初めての転職ではありませんでした。派遣や期間工など、色々な仕事を経験して、無論労働基準法の中身もそれなりに把握していました。

なので「期待は最初からしていないけれど、ここで、解雇に同意してなく、働く意思はあったという事実を残していけば、万が一何かあっても、自分に不利にはならないだろう」と言う打算の元、上司の許可を得て、工場長のいる隣の敷地の第二工場へ向かいました。

第二工場の事務員さんが同席してくれたのは予想外でしたが、「これで工場長も言い逃れは出来ないでしょう」と心の中でガッツポーズをしていました。
工場長が相変わらず人を馬鹿にした態度だったのは腹正しかったですが。

その日はどうやって帰宅したか、何を食べたかも覚えていません。 実家暮らしなので、親が言うには「何かあったのだろうとは思ったけれど、落ち着いたら話すだろう」と構わずに置いていてくれたようで、未だに有難く思っています。

実質解雇と言うことで、その後三日は仕事をしましたが精神的な負荷が大きかったのか体調を崩し、上司には「具合が良くなったらまた連絡しますね」と言って出勤を拒否していました。
この件に関しては、事情を知った総務の女性が「有給残ってるので、しっかり休んだ分は使いましょう」と気を利かせてくれたことが嬉しかったです。

11月に入り、離職票も届いたので失業保険の手続きをしにハローワークに向かうと、保険窓口の職員さんが一言。
「労働者合意の上での退職になっていますね」と。

高卒からYでしか働いておらず、世間を知らないので頼りにならない上司と、人を馬鹿にする工場長。二人を見ていて、企業体質に疑問を抱いていたこともあり、離職票と一緒に期間満了の判子が押された紙を持参しており、「少なくとも辞めたくて辞めたわけじゃない」と訴え。

なんなら会社に連絡して確認してくれ。と言い、職員さんが確認してくれることに。
求人票の連絡先が工場長となっていたので、もし工場長がシラを切ったら総務の方に確認してもらおうと思っていたのですが、あっさり工場長は会社側の都合で辞めさせたと認めたらしく、この時点で職員さんは「では、確認も取れたので離職票直しましょう」とその場で対処してくれました。

いいチャンスだと思い、正社員の約束があったこと、宣告時の態度があんまりだったことなどを怒りつつ伝えましたが、職員さん曰く。

「嫌な思いをされたのだと思うけど、求人票に1年の試用期間と書いているから、違法ではないんですよ。訴えることも出来ますが、あなたにとって得にはならないかもしれません」と非常に心配そうな顔で諭され、私は、じゃあ仕方ないか・・・と悔しさを感じつつ、引き下がることしか出来ませんでした。

ただその後、新しい仕事探しを初めて相談窓口に向かった際、担当となってくれていた職員の方に事情を全て説明すると、「訴えることは出来ないけれど、もしこのYを受けようという方がいらっしゃった時に注意を促すことが出来るように覚えておきますからね」と力強く励ましてくれ、少し救われた気がしました。

この件で私は、一度染みついた悪い企業体質と言うものは時間を経ても、簡単には変わっていかないものなのだなと実感しました。

【それが普通だと思っていました】

・金融 商品先物取引会社K

大学を卒業した後に、新卒として、商品先物取引の会社に入社しました。

この業界は当時、離職率が7割とも言われていたのですが、その理由が入社してよくわかりました。

まず、休みがほとんどありませんでした。土曜日出社は当たり前、日曜日も、月1日は出社しなければなりません。勤務時間も、7時30分~22時まで。土曜日だけ、8時半出社で良かったのですが、そもそもの規定上の開始時刻は、9時でした。

ひたすら電話を掛ける毎日でした。
自分たちが入社する前には、過労死した方もいたらしく、それを聞いて、さすがに身体が持たないと思い、1年で退職しました。

ちなみに、自分の配属されていた支店には、自分も含めて10人新入社員が入ったのですが、1年以内に全員退職しています。あまりに過酷だったためか、全員、凄く仲良くなりました。今でも連絡を取り合っています。

1年間続けていたのは、当時は、それが普通だと思っていたからです。
超就職氷河期で、不景気、どこの会社でも、こんななものなのでと思っていました。
しかし、実際転職してみると、前職がいかに異常だったのか、初めてわかりました。